江坂です。
はじめに、すでに決まっているテーマの改善案を提案することは非常にナンセンスであると思います。
一方で、それをどうしてもやってみたくなってしまいました。なので、やってみました。
前提:第66回名大祭のテーマの確認
テーマ「天晴れ、広がるVISION」
テーマの解説(以下、名大祭の公式サイトより引用)
あっぱれ【天晴れ】
①驚き・期待・感心などの感嘆。
②天が晴れ渡る様子。
例年の名大祭では雨が多いなか、来ていただいた皆様に思わず「天晴れ!」
と言っていただけるような晴れ渡る名大祭を目指したいという願いが込められています。
ビジョン【VISION】
①将来の理想像、展望。
来場者の皆様が、現在の自分から未来の理想像へと視野を広げることができる名大祭にしたい、
という思いが込められています。
理想と課題
こちらの記事で解説と表現がされています。
詳細は割愛し、この記事で指摘されている課題のうち重要な部分と私が考えているもののみを抜粋し、ChatGPTを用いて要約して簡潔に記載します。
① 中身のないスローガン
理想が抽象的で漠然としており、実行力のある具体性や独自性が欠如している。「良い学祭にしたい」などの主張は、テーマとして言う必要がないほど当たり前。
② 実情とズレた表現
「天晴れ」という言葉が梅雨開催の現実と噛み合っていない。「晴れるはずがないのに晴れをテーマにする」のは非現実的で空虚だと批判。
③ 言葉の冗長さと無意味さ
「広がるVISION」は、「天晴れ」との因果関係も意味的差異も薄く、テーマに必要な要素ではない。表現に対する経済性(簡潔さ、印象深さ)の欠如を指摘。
④ 言葉同士のミスマッチ
「天晴れ(和語的・感情的)」と「VISION(英語・抽象的・理知的)」の組み合わせが相互に調和せず、印象を平板化させている。
⑥ ホストとしての視点が欠如
テーマが「来場者に楽しんでもらいたい」というゲスト視点に終始し、開催者=ホストの意志や主体性が表現されていない。「名大祭は誰のために、何のためにあるのか」という根源的な問いが曖昧なまま。
以下に、上記の課題をクリアすることを想定して、現在のテーマをもとに3つの提案をします。
提案1:「天晴れ」をなくす
「天晴れ」は不要だと思います。
なぜかというと、名大祭の来場者は、名大祭に来ている時点で驚きや感心を期待していることが明らかであるからです。彼らは名大に、仕事や教育をするためにやってくるのではありません。
そのような当然のことをテーマで伝える必要はありません。もし当たり前のことをテーマに含める必要があるなら、「安全」とか「来場無料」とかも入れないといけませんよね。当然のことをテーマに含める場合には、テーマを印刷する紙の体積や、印刷のためのインク代や、テーマを読む人の時間などが無駄になっていることを知らなければなりません。
また、天晴れには「②天が晴れ渡る様子」という意味はないはずです。(この点は、名大祭実行委員会が何を参照しているか不明ですが、私が調べた限りでは見つかりませんでした。)
つまり、天晴れという言葉を入れたところで名大祭が晴れることを願っていることにはなりません。また、晴れを願ったところで、天気を晴れにするための努力は人間にはできないため、そのような言葉は意味のない言葉です。(名大生は、てるてる坊主をたくさん作ることで天気が晴れると信じているでしょうか。)
なので、「天晴れ」は無くしてしまいましょう。
暫定テーマ「広がるVISION」
提案2:「広がる」を「ひろがる」に
テーマに含まれる言葉「広がる」が担っている「現在の自分から未来の理想像へと視野を広げることができる名大祭にしたい」という思いは素晴らしいものだと感じます。それはまさに、総合大学であり、「勇気ある知識人」の標語を掲げる名古屋大学が担っている役割とも一致します。
ただ、ここで漢字を使用すると、やや詰まった印象になる、つまり広がっている印象を補強できないのではと考えました。「広がる」と「ひろがる」のどちらも視野を広げるという意味を持たせることは可能だとしたときに、同じ音の数で文字が多い方が、それを見たときに余裕があるように思い、広がっているというイメージに近いと私は感じます。
また、漢字ではなくひらがなを使用することで、柔らかな印象にもなり、それは幅広い年齢の地域住民に愛される名大祭のイメージとも一致します。
なので、「広がる」は漢字を使用せず「ひろがる」としてよいと思います。
暫定テーマ「ひろがるVISION」
提案3:「VISION」を「ビジョン」に
ここで、VISIONがアルファベットで全て大文字である必要はあるのかを考えました。
VISIONがアルファベットで全て大文字であるということが、名大の何かしらと縁があるのだろうかと思いを馳せてみると、私は「VISION広告」しか思いつきませんでした。
VISION広告とは、第66回名大祭(2025年度)から新たに導入される、液晶画面に動画または静止画を表示する広告形態です。
私としては、例えばクライアント(名大祭の場合は、名大当局?)が「今年ならではの言葉が含まれたテーマだといいねえ」と言っていたら、ちょうど今年から始まるVISION広告に準えて「VISION」というアルファベット全大文字の言葉をテーマに入れた案を考えるかもしれませんし、それがうっかりテーマとして決定に至ることもあるかもと思います。でもテーマに必要な要素ではありませんよね。「ひろがるVISION」だと、VISION広告の売り上げを増やすためのキャッチコピーにも見えてしまいます。
そこで、VISIONという言葉がVISION広告と結びつきすぎないようにするために、VISIONをカタカナで「ビジョン」とすることを考えてみます。
VISIONとビジョンを比較したときに、ビジョンには「読んだときの音が一意」、「読める人が多い」というテーマとしてのメリットがあります。
VISIONという表記の場合、ネイティブに近いカタカナで表現するならば「ヴィジョン」となります。多くの日本人が得意ではない発音であるので、VISIONを日本人が読む場合は「ビジョン」という発音になりますよね。
そうすると、テーマでVISIONを使用する場合、VISIONに2つの発音方法があるので、テーマの読み方が2種類あることになってしまいます。そうすると、テーマの持つ音の力(誰かが読み上げたときの印象)が分散してしまいます。
また、日本人は、一般的な学校教育を受けていることを前提にすると、VISIONよりもビジョンのほうが読めるようになるのが早い=より多くの人が読めることになります。
つまり、テーマを通して思いを多くの人に伝えるのであれば、VISIONではなくビジョンという表記にしてよいと考えます。
最終的なテーマ案「ひろがるビジョン」
このテーマには、名大祭によって人々の活動が広がり、喜びがひろがることを願い、多くの人が現在の自分から未来の理想像へと視野をひろげることができる名大祭にしたい、という思いが込められています。そして、そのようなテーマを掲げることで、「勇気ある知識人」の標語の指す名大生の理想状態、および「勇気ある知識人を育てる」名大の理想状態に近づくための行為と名大祭を位置付け、名大祭によってこそ現在の名大が名大たりうるのだと主張します。
このように、シンプルだけど力強い構成のテーマにすることで、よりテーマによって伝えたい思いをシャープに表現できると考えました。
前半の太文字箇所は、もともとのテーマに込められた思いと同様のもので、後半はテーマの持つ力を最大限に発揮するための補助として、私が付け足したものです。このようなテーマだと、名大祭が大学祭としてより機能するのではと思います。
最後に
私は名大、名大祭、名大祭のテーマに強い興味と関心があります。そのため、今後名大祭のテーマに関わる可能性があるならば、その機会が訪れることを楽しみにしています。