この前、名古屋の鶴舞公園あたりを散歩していたところ、名古屋のホロウ・バスティオンとでも言うべき空虚かつ堅牢な建物を発見しました。
それが、この「STATION Ai」です。


STATION Aiは、愛知県とソフトバンクが官民連携で整備した巨大な施設で、スタートアップ企業の育成を目的としています。
しかし、その実態はそれだけではありません。
一般市民に開かれた休憩スペースやレストラン、カフェ、ファミマ、子どもの遊び場や託児施設、オフィス、フィットネス、そしてなぜかホテルまで併設されています。
全貌を一言で説明することは極めて困難です。
先に言っておくと、僕はこの建物を非常に素晴らしい建物だと思っています。
新しくて小綺麗。
無料で使える勉強スペースは学生たちでにぎわい、誰でも利用できるコンセントや飲料水の設備まであります。
控えめに言っても、人々の生活を豊かにしているでしょう。

そして見てください。
この、とてつもない数のスポンサー企業を!


名古屋を代表する企業をはじめ、名だたる大企業が軒並み名を連ねています。
実に素晴らしいことです。
このように、資本主義はいつも僕たちの生活を豊かにしてくれます。
資本主義スメルDXイノベーション戦略
さて、その一方で資本主義は、さりげなくプンと香るひそやかな悪臭も僕らに与えてくれます。
言ってみれば下水処理場のようなものです。
近所に下水処理場があったとしましょう。
ふと窓から吹き込む秋の心地よいそよ風の中に、一瞬だけ何か妙なものを感じることがあるかもしれません。
しかし、だからといって下水処理場をなくすことはできません。
あなたにとっても有益な施設なのですから。
資本主義も同じです。
無料のコンセントや飲料水、小綺麗な勉強スペースを与えてくれるからといって、そのニオイから目を背けることはできません。
そして悲しいかな、このSTATION Aiには、そういった独特の香りがかなり充満しています。
もはや、ふとした瞬間に香るというレベルではありません。
建物いっぱいに張り詰めるように注入されたアンモニアガスとも思える香りです。
一言で言えば、この建物、めちゃくちゃスタートアップ臭くて、界隈の良くない部分が煮凝っているのです。
というわけで今回は、STATION Aiの中にある展示物やアート作品を片っ端からこき下ろしていこうと思います。
ここで重要なことをもう一度言っておきますが、僕はこの建物を非常に素晴らしい建物だと思っています。
こんな立派な建物を作って一般大衆に開放するというのは、まさに資本主義のなせる業です。
僕のような個人事業主には到底成し遂げられない偉業でしょう。
ただ、それはそれとして、この建物の臭気はあまりに強烈です。
偉業と悪臭とは両立可能です。
僕はすっかりこの建物の虜になっています。
アントレプレナー思考改革マインドセット2.0


まず、2階に上がった瞬間に目に飛び込んでくるのが、この真っ白な壁です。
壁一面に、謎のエンボス加工が施された文字が刻まれています。
調べてみると、これは愛知県の展示施設「あいち創業館」の一部で、愛知県ゆかりの企業家たちの名言が刻まれているのだそうです。
「トイカケのファサード」という名前がついています。
この建物に充満する臭気の大多数は、ここから発されていると言っても過言ではないでしょう。
名言は60個もあるので、気になった言葉をかいつまんで紹介します。
次世代インサイト創出マインドDX
まずはこちら。
でんでん虫、そろそろ登れ富士の山
シンプルに何が言いたいのかわかりません。
これは小林一茶の俳句に由来する言葉で、カゴメ創業者の蟹江一太郎に関連するものらしいですが、少なくとも壁に書かれたこの1文から僕に伝わってくることはありません。
試しに、単語を適当なものに置き換えてみましょう。
大グソクムシ、そろそろ登れテレビ塔
これでも、さして意味は変わらないのではないでしょうか。
少なくとも、とりあえず上昇志向であるというイメージは伝わってくるので、イノベーティブな名言として遜色はない気がします。
続いて、
障子を開けてみよ、外は広いぞ
これは、かの有名な豊田佐吉の言葉だそうです。
想像するに、彼にはさまざまな経験や背景があり、そんな彼の人生の重要な局面で、満を持してこの言葉は口にされたのでしょう。
その人生を知る人にとっては激アツの名言なのかもしれません。
しかし僕は、ここを訪れる他の大勢と同じように、彼の人生を詳しく知りません。
2階に上がった瞬間にこの言葉(を含む60の金言)が刻まれたデカい壁が目に入ったら、
「うわ、キツ」
というのが第1印象です。
つまり、この壁は豊田佐吉(を含む60の企業家)を予めよく知る人向けに作られたということです。
ユニバーサルなデザインではないと思うのですが、どうでしょうか。
許されるものなら、僕も公共施設の壁に、大好きなミュージシャンである青木龍一郎氏の名言
「大丈夫 俺がバッチリ全部回収する」
を刻み込んでおきたいものです。
これはユニバーサルデザインではない一方、少なくとも僕はそれを見るたびに非常にアツい気持ちになります。
皆さんはどう思うか。
ちなみに、この壁は光るようです。
つまり、この建物の2階に上がった人が最初に目にするものは光る名言で、これは万人に等しく起きるということです。
ほかの名言も紹介します。
商売とは10円のものを11円で売ること
わかりやすい定義をありがとうございます。
しかし、これも何が言いたいのかわかりません。
それはそう、という感想しか僕には浮かびませんでした。
360度思考
この人は90度思考、180度思考、270度思考、60度思考なども定義しているのでしょうか。
単に「柔軟に考えよう」でいい気がしてしまうのは、僕が企業家ではないからなのでしょうか。
私は生涯を2本の棒に支えられてきた。貧乏と辛抱の2つだ。
これに至っては、面倒くさいオジサンが得意げな顔で言い放っている様が目に浮かびます。
まず、情報量がありません。
「貧乏だったけど辛抱したら成功したぞ、ガッハッハ」
以上の内容が読み取れません。
仮に、
「貧乏でも辛抱すれば成功できる」
という教えを説いているのだと仮定しましょう。
だとしても、これは N=1 に過ぎません。
これは自己啓発あるあるですが、特に根拠のない個人の体験談が多すぎます。
しかも「貧乏」と「辛抱」で韻を踏んでいるあたり、親父ギャグ感が強くて企業家っぽいです。
結婚式のスピーチを思わせます。
さらに、
儲けんと思わば天に貸せ
というのもあります。
天に貸すというのは、何を指すのでしょうか。
神様だって、別にお金に困っていないのに勝手に貸し付けられたら迷惑すると思います。
数年後には利子も請求されるようだし。
そして、この壁の中で僕が一番爆笑したのがこちらです。
よい考え よい製品 Think Think Think

何が言いたいのかわからないだけでなく、最後の「Think Think Think」が謎すぎます。
言葉全体に勢いを与える意図、ということなのでしょうか。
「考え」と「Think」がカブっているのも些か気になります。
「いい製品を生むためによく考えよう」ではダメだったのか?
逆に、この言い回しじゃなかったら壁に彫られることもなかったのか?
好奇心を刺激されます。
常識破壊型パラダイムシフト2.0
続いて、「そんなことないだろ」とシンプルに思ってしまうシリーズです。
ゆっくり歩けば遠くに行ける
普通に、早く歩いた方が遠くに行けると思います。
ゆっくり歩いた方が疲れずに結果的に長く歩けるという意味だとしても、それはその人の体質によるでしょう。
こういう言葉を鵜呑みにして
「そうか、ゆっくり歩けば遠くに行けるんだ!」
と思い込まないことが、企業家として成功するコツなのではないでしょうか。
そうした教えもちゃんと隣に彫っておいた方がいいと思います。
1円のお客様より10銭のお客様を大切にせよ
僕だったら、1円のお客様を大切にした方が儲かると思います。
そんなことはないのでしょうか。
発言の前後の文脈が気になるところです。
「そんなことないだろ」型の名言を見ていると、高校生の頃を思い出します。
みんな大人に反抗することに必死で、思い返せばわけの分からないことを言っていました。
セルフメッセージ発信最適化DX
今日からスタート
天気がいい日が吉日だ
なんとかせにゃいかんなあ
こうした名言も壁に彫られています。
これらは、ただの独り言ではないでしょうか。
本当に名言なのでしょうか。
これらの言葉が壁で光っていたら、
「よし、今日からスタートするぞ!」
とやる気が湧いてくる人が実際に存在するようには思えませんし、仮にいたとしてもごく偏った界隈に属する方でしょう。
「天気が悪い日に事業を始めてもよくない?」と思うのは、僕がひねくれ者だからなのでしょうか。
ここに彫られている名言、それを言った人ありきで選ばれすぎだと思います。
ふつうに愛知を代表する企業家60人の顔写真でも貼っておくだけの方が、シンプルに意図が伝わるのではないでしょうか。
情熱駆動型モチベーション改革プログラム
100歳まで生きて働くのだ
積極進取
情熱なくして未来なし
功成り遂げて後に楽しみをせよ
スタートアップ界隈の人々は、頑張ることそれ自体にやりがいを見出しているのでしょう。
それは別に悪いことではありません。
頑張ること自体が冷笑されたり、非難されるべきではないと思います。
ただ、単に頑張ろうと言っているだけの言葉が、どうして名言として扱われるのかは疑問です。
世の中には頑張っても報われなかった人々がたくさんいるはずです。
そういう人たちの「頑張ろう」という言葉は名言として扱われることなく、時代の中に葬られていきます。
僕は、そういう失われた言葉たちの中に美を見出しています。
降り積もる雪のようなものです。
次世代ヒューマンリソース選抜DX
企業家の名言あるあるとして、特定の属性を持つ人間を完全に切り捨てるタイプもあります。
名人気質は許されない
将来の方向を決めるのに多数決はない
欲がない人間、好奇心がない人間に用はない
特に最後のはひどいですね。
企業に雇われている一般的なサラリーマンの中には、特に大きな欲や好奇心を持たず、淡々と仕事をする人がたくさんいることでしょう。
企業家たちは、自社のバイトや平社員に対しても用はないと思っているのでしょうか。
もしかしたら、この人の会社では求人要項にそのことが明記されているのかもしれません。
社会貢献型ソーシャルグッド共創戦略
万事顧客本位たるべし
事業は個人の利益のためにあるのではない。たくさんの人たちの幸せのためにあるのだ。
サービスというのは人様のために実行していけば一番よい
みんなに親切にしよう、という名言たちです。
しかし不思議なことに、「自分本位に楽しんでやろう」という名言は見当たりません。
これらのことから察するに、企業家たちというのはデフォルトでは、
「ウヘへへへ、俺が一番儲けて、みんなのことを見下してやるぜ~!」
という精神性を持っているということなのでしょう。
もともと親切なら、わざわざ親切でいようと言い聞かせる言葉が名言になったりしません。
もっとも、僕は独善的であることが悪いとは全く思っていません。
独善的に起業して、結果的に社会の役に立てばそれでいいのではないでしょうか。
その方が嘘がなくて健康だと思います。
グローバル市場開拓ビジョン2026
やはり本命はアメリカだ
これが名言として掲げられているのを見たとき、僕は新鮮に驚きました。
これ、名言なのでしょうか。
この言葉を名言だと思う人は、とっとと日本語訛りの英語でも身につけて英語圏の国に行き、うっすら人種差別をされながら毎週Instagramに西海岸でBBQする写真でも上げていればいいと思います。
僕は、本命は日本じゃないかと思います。
なぜなら、今僕は日本にいるし、母語は日本語だし、今のところ日本には僕より裕福な人が山ほどいるからです。
国内で上を目指す方が現実的ではないかと思います。
ちなみに、こんな言葉もあります。
西洋人の好みに合う品物を作って、大いに外国の金を日本へ引き寄せることを考えなくてはいかん
僕は、日本人の好みに合う品物を作って、国内の人々を幸せにすることにも意味があると思います。
実証型リアルバリュー創出メソッド
一方で、納得できる言葉もあります。
安くてうまければ売れることは間違いない。ただそれをお客様が知らんから売れないのだ
既存の技術だけでニーズは形にできる
というか正直、壁に書かれた名言のうち僕が納得できたのは、この2つだけでした。
ただし、僕が納得できるかどうかは、実のところ全然どうでもいいことです。
これらの言葉が多くの人々の胸に刺さるのであれば、存在価値はあるのです。
そもそも、この壁は愛知県の事業として設置された展示です。
公費を使っている以上、僕個人の感性ではなく、みんなの感性によって価値が決まります。
みんながこの壁についてどう思うのか、とても興味があります。
次世代アートマネタイズ共創プラットフォーム
さて、この建物には名言の壁以外にも、印象的な飾り物があります。
それがアート作品です。
国や自治体の助成金を受けて作られた施設では、アート作品をよく見かけます。
アートも、スタートアップと同じで公的支援の対象になりやすい分野です。
中でも障害者アート、SDGs、多様性といった社会的なコンセプトを掲げる作品や、動物や花を描いた人畜無害な作品は、この手の施設で特によく見かける気がします。
つまり、社会的で無害なアートを作ると、国からお金がもらえます。
そしてSTATION Aiのアートも、まさしくそうした商業アートの典型です。
具体的に紹介していきましょう。
7色ダイバーシティ共創アートDX

まずはこちら。
昨今の世の中では、どんなものにでも7つの色を塗ることでアートにすることができます。
素晴らしいことです。
この理屈でいけば、ゲームオタクの部屋のパソコンや、成人式の日に虹色の髪の毛と真っ白なスーツで公民館にやってきた中学時代の同級生なども、平和と多様性の使者として崇められるでしょう。
僕は、そもそも多様性を7色で表すことには2つの問題があるように思います。
まず、虹は7つの色だけでできているわけではありません。
本当に多様性を表現したいのであれば、連続的な色のスペクトルそのものにフィーチャーして、色を離散的に捉えるのをやめるべきではないでしょうか。
そして、仮に7つの色で多様性を表すのだとして、その7色は等しく分布しているわけではありません。
真っ赤な人々が世界の80%を占め、残りの6色はマイノリティとして分布している、というような現実が世の中にはあります。
単純な7色のメタファーは、2重の意味で現実世界の多様性を表現できていないように思えてなりません。
フローラルクリエイティブ価値創出戦略


続いてはこちら。
商業アートあるあるとして、「意味付けが無理やりすぎる」というものがあります。
この絵を見てください。
彩り豊かな花々がデフォルメされて描かれており、それ以上のことは特にないように見えます。
では、キャプションを読んでみましょう。
モチーフを見ながらアクリル絵具で描くというのが彼の制作スタイル。長年花をモチーフに描いており、近年は1つの花にこだわり何か月も同じ花を描き続けることがある。色や形を単純化して構成する画面の構成力も魅力である。太筆で描き進める作品は、愛らしく、見る人を優しい世界へ連れて行く。
要するに、花をデフォルメして絵の具で描いたということですね。
それだけのことを言うのに、これほどの文章量が必要なのでしょうか。
そもそも、花をカラフルにデフォルメして描くというのは、友達から、
「ごめん、50万円払うから壁にアートを描いて! 申し訳ないけど納期はあと3日ね!」
と言われたときに真っ先に浮かぶアイデアのように思います。
人畜無害で毒にも薬にもならない花というモチーフを、やはり毒にも薬にもならないカラフルな色調で描く。
ベタ塗りの背景に、手描き感のある丸い形でデフォルメする。
ここに何らかのアイデンティティやコンセプトを見出せるでしょうか。
そもそも、
「モチーフを見ながらアクリル絵具で描く」
というのは、制作スタイルというより一般的な絵の描き方です。
そのような画家は世界中に数え切れないほどいるでしょうし、僕も絵を描くとしたらそうします。
そして、重箱の隅をつつくようですが、
太筆で描き進める作品は、愛らしく、見る人を優しい世界へ連れて行く。
なぜ、僕が絵を見たときの感想が予めキャプションに書かれているのでしょうか。
ちなみに、僕はこの絵を見ても優しい世界へ連れていかれたとは感じず、
「わあ、また似たような商業アートだ!(怒)」
とむしろ攻撃的な気持ちになりました。
それは僕が優しい人ではないからなのでしょうか。
このキャプションは僕のような鑑賞者を想定していないのでしょうか。
なんだか悲しい気持ちになってきました。
しかしながら、これを作者本人の責任にするのは間違いです。
先ほども言ったように、アーティストに罪はありません。
僕だって、50万円もらえて納期が3日しかなければ、このような絵を描くでしょう。
この作者は、お金を稼ぐために最も適切な方法を実践しているに過ぎず、そこに罪はありません。
そして、この絵を見て不快になる僕のような人間は、おそらく世界に1%もいません。
不快になるのはその人自身の責任です。
僕も、明らかに自分に責任があると思っています。
だから、間違っても愛知県の担当部署に駆け込んで、
「おい、私はこの絵を見て不快になった! なぜこんなものを飾っているのだ!」
などと直訴するつもりはありません。
とは言え、本当にこのような作品を公共スペースに飾る意味はあるのでしょうか。
アートとしては異端であるにもかかわらず、いかにもアートですという顔で鎮座していることには違和感を覚えます。
循環型ドラゴンアート社会実装DX


次はこちら。
木で彫られた龍の像です。
それ以上の特徴はありません。
シンプルに木の像です。
では、キャプションを読んでみましょう。
本展示は、持続可能な社会の実現に向けた最大の課題の1つである「サーキュラーエコノミー(循環経済)」へのシフトを、五感に訴えかけるアートを通じて広く発信し、意識変革を促す実証実験です。
この段階で「ああ……」というため息が漏れない人はいるのでしょうか。
僕はこのアートを100万回見ても、
「なるほど、これは持続可能な社会の実現に向けたサーキュラーエコノミーへのシフトを訴えているんだ」
と感じることはないでしょう。
また、この彫像がどのような方法で僕たちの五感(特に味覚や嗅覚)に訴えかけてくるのか想像もできません。
もちろん、すべてのアートが一目でコンセプトを伝えるべきだとは思いません。
ただ、少なくともコンセプトを聞いたら納得できる必要はあると思っています。
この木彫りの龍のコンセプトを聞いて「なるほど!」と納得する人は果たしているのでしょうか。
さらにキャプションには、
木材やプラスチックなどの素材の本質的な価値を見つめ直す機会を提供する
とあります。
ところで、この木彫りの龍のどこにプラスチックが含まれているのでしょうか。
仮に含まれていたとして、そもそも龍の像を見ることでなぜ木材やプラスチックの消費について価値観を見つめ直すことになるのでしょうか。
僕にはわかりません。
さて、これが商業アートあるあるです。
つまり、意味のないことをさも意味があるかのように話すことによってお金を生み出す。
さっき、どこかの壁に
「10円のものを11円で売ることが商売だ」
と彫ってありましたが、このアートはまさにその言葉を体現するような存在でしょう。
もっとも、虚ろなものに仮初めの価値を与えて人に売ること自体が悪いとは思いません。
ただ、そのようなものを悪びれもせず公共空間にアートとして飾るべきだとも思いません。
皆さんはどう思いますか。
次世代アーティスト価値可視化プロジェクト




最後にこちらをご覧ください。
壁全体に広く描かれたカラフルな絵です。
この作品を描いたアーティストの紹介文を読んでみましょう。
2009年から『やまなみ工房』に所属。音楽が流れるとリズムに合わせエアギターをかき鳴らし熱唱、車両が後退する際はオーバーアクションで誘導、休憩時には煙草を吸う仕草を真似て一服と、常に周囲を意識し自分自身を演出している彼の自己アピールの1つに作品制作がある。
この文章から得られる情報は4つあります。
まず、彼は音楽が流れるとエアギターをかき鳴らして熱唱するということ。
そして、彼は車を誘導する際にオーバーアクションを披露するということ。
休憩中には、自身は煙草を吸わないにも関わらず吸うふりをするということ。
そして、彼は控えめに言っても自意識過剰であるということ。
別にアーティストが自意識過剰であることは全く悪いことではないし、プロフィールにそれを書くのが無意味とも思いません。
ただ、僕は素直に
「イタいし、空虚だな」
と思いました。
企業家界隈には、こうしたイタい空虚さが常にあるように思えます。
なぜイタいのかというと、世間の感覚とズレているからです。
もちろん、世間の感覚とずれること自体は悪いことではありません。
ただ、少なくとも良いことでもないし、どちらかというと推奨されることではないでしょう。
「世間の感覚からズレよう! ズレるべきだ!」
みたいなことを言う人がいるとしたら、僕はやはり高校時代にタイムスリップしたような気持ちになります。
僕の言いたいことがわかるでしょうか。
そもそも、僕は何が言いたいのでしょうか。
果たして僕は何かを言い得るのでしょうか?
さて、紹介文の続きを読みましょう。
モチーフは人物や動物等、様々で雑誌や画集を見てそれを模写する。腕を組み、角度を変え構図を考える様も、1つ1つ丁寧に色を塗り重ねる筆使いもすべては彼の演出、彼の美学なのである。その美学から生まれる作品たちは、彼も予想がつかない全く別の色や形へと変化していく。
ここで、さらに情報が2つ追加されます。
彼は人物や動物をモチーフに絵を描くらしい。
そして、彼自身も彼の作品がどうなるか予想できないらしい。
つまり、この長い作者紹介文を圧縮すると、こうなります。
彼は、常に周りを意識して自分を演出しながら、人や動物を場当たり的に描いている。
なぜ、商業アートの紹介文は過剰に長いのでしょうか。
キャプション1文字あたり1000円、みたいな形で制作費が決まっているのではないかと勘ぐってしまうほど、無駄な描写が多くはないでしょうか。
おそらく、こういうことなのでしょう。
私は絵を描く。
しかし、その価値をみんなに理解してもらうためには説明が必要だ……。
だから、自分でも感覚的にやっている部分をなんかそれっぽく彩って、
「わあ、なんかスゴい! カッコいい!」
と思ってもらおう!
皆さんはこれに意味があると思うでしょうか。
僕は、大いに意味があると思います。
なぜなら、こうした説明で作品の価値に納得してもらえれば、実際にお金が生まれるからです。
お金を出す人たちに価値を理解してもらう必要がある以上、キャプションの1文字1文字にお金がかけられているというのも、あながち間違っていないのかもしれません。
しかし、こんな紹介文を読んでも、作品に何か特別な芸術的価値があると思うことはできません。
一般的な読解力をもってキャプションを要約すれば、その内容の空虚さには誰もが気付けるはずです。
一方で、この新しく、広く、一般大衆に開かれた有益で素晴らしい建物が、そうした方法で資本家たちから絞り出されたお金によって支えられている、という事実には愛情と怒りを同時に感じざるを得ません。
ちなみに、この建物のアート作品はヘラルボニーという企業と連携して設置されたものだそうです。
創造性を刺激し、イノベーションを生み出す空間を作ることが目的なのだとか。
アートにも経済的な成果を期待するあたり、実に公共事業らしい発想です。
別に、アートに儲けを期待するのが悪いとは全然思っていません。
実際にお金を出してくれる投資家や資本家が見返りを求めるのは当然です。
ただ、少なくとも僕は、例えばマッチングアプリで出会った女の子と遊びに行くとして、
「実は今日、君とセックスできることを期待しているんだ」
などとは言いません。
わざわざ言うまでもないし、無粋だからです。
例えが適切だったか分かりません。
僕の言いたいことが分かるでしょうか。
そもそも、イノベーションを生み出すために作られたアートが必ずしもイノベーションを生み出すわけではなく、逆にそんなことを全く意図せず作られたアートがイノベーションを生み出すことも往々にしてあるでしょう。
というか、アートって本質的にはそういうものだと思います。
僕は、商業アートを批判するつもりはありません。
少なくとも、商業アートの作り手を批判する気にはどうしてもなれません。
なぜなら、僕だって商業的なクリエーションでお金を稼いでいる作曲家ですから。
しかし、こうした作品が公共空間に配置され、いかにも「アートです」という顔をしていることに対しては、端的に言ってイラつきます。
こんなものを公共施設の中に作れるくらいなら、名古屋城に金シャチをもう1個追加した方が、僕らの税金も多少は報われるように思えます。
持続可能型キャピタル幸福共創ビジョン
さて、以上がこの建物、STATION Aiについて僕が言えるすべてのことです。
つまり、僕はこの建物を素晴らしい建物だと思っているということ。
そして、その素晴らしさと引き換えに、建物の中にはたくさんの虚無が額縁に入って飾られているということです。
常に、この問題は僕を苦しめます。
資本主義は、名前のとおり資本の流れを加速させるので、素晴らしい価値と共に香り立つホカホカの虚無をも大量生産するのです。
とはいえ、僕自身はとりわけスローライフを生きているわけでもなく、たくさんの価値が生み出されること自体には素晴らしさを感じています。
この悲しみはどこから来るのでしょうか。
僕を温める毛布はこの社会には転がっていないのでしょうか。
というわけで、今回は僕が最近見つけた面白い建物、STATION Aiを紹介しました。
以上で記事は終わりです。
※ 本記事は生成AIを用いて書かれています。