ブロンコビリーに行った。食事が終わってから妻の鉄板を見て驚いた。
おじさんの目のところに盛られている。
おじさんの顔面はそういうスペースではないはずだ。なんだかかわいそうではないだろうか。
どうして目に塩が盛られてしまうのか
この塩の盛られ方は間違いではないかと気になって他のテーブルに届く鉄板を覗いてみても、やはりおじさんの目のところに塩が盛られている。
食事を運んできた店員が「(なんとかかんとかの)塩でのお召し上がりをおすすめしております。こちらを乗せてもよろしいでしょうか。」と言うので、はい、と答えると塩を乗せてもらえる。
その時、妻のプレートのほうではおじさんの目のところに塩が乗せられていたのだ。そんなことってあるだろうか。ひどくないか。
自分はハンバーグとステーキの両方が乗っている欲張りなメニューをオーダーしたので鉄板が他のものとは異なり、鉄板におじさん象形がなく、鉄板の枠内に塩が盛られた。そのため慈しみの感情は生まれようがなかった。
誰かが「おじさんの目のところがちょうどいいから、ここに乗せよう」と決めたんだろうか。だとしたらクレバーではあるがファニーな選択である。
以下の記事によると、鉄板内に塩を盛ると溶け出した肉汁と塩が混ざってしまうため、その対策として慣習化しているらしい。肉汁と混ざる代わりにおじさんの涙とは混ざっていそうだがいいのだろうか。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1803/06/news131.html
おじさんの正体
上記の記事ではブロンコビリーの鉄板に型取られているおじさんへの言及があるが、正体が語られていない。誰なのか気になって「ブロンコビリー おじさん」とGoogleで検索をしたら、思わぬ形で創業者が出てきてしまった。
「ブロンコビリーを創業したおじさんの名前は?」という質問は無邪気すぎて気が引ける。子どもがお母さんに聞く時の言い方である。大人なら赤の他人でも創業者をおじさん呼ばわりしにくい。(うっかり誰かの耳に入ってしまうかもしれない)
おじさんの正体に関する情報は調べてもでてこなかった。おじさんの名前は、メニュー名から察するに「ブロンコおじさん」である可能性が高い。
ウェブサイトを見ていると、2種類のおじさんが観察できるが、鉄板の象形との関係性は不明である。
目に塩を入れる行為の活用法
さて、ここまでおじさんに思いを馳せたところではあるが、目に塩を乗せる/入れることについて今更ながらポジティブな側面を考えてみたい。
そこでチャット型AI「Gemini」に質問してみた。
回答は次のようなものだった。
真実かどうかはさておき、想像していたよりも前向きなものが多い。
目を塩で清める儀式という着想から展開すると、ブロンコビリーのおじさんの目に塩を盛る操作は、儀式を象徴化して簡略化したものだと捉えることもできる。
もしも世界で目に関する何らかの感染症が大きく流行したとしたら、一般人が広く利用できるソーシャルサービスを通して、ブロンコビリーでステーキを食べる行為が流布してもおかしくはないだろう。鉄板がテーブルに来たら、店員に拝みながら塩を盛っていただく。目に塩が盛られたおじさんがキーホルダーになっていてもいい。
なので、その時のために目に塩をもられたおじさんをイラスト化しておきました。
目に塩が盛られているというビジュアル
たとえ非動物だとしても、目の前で生き物の目に塩が盛られていながら無抵抗と背徳的な気持ちになる。
一方で店員はスムーズな手際や全く変えない表情や声で淡々とおじさんの目に塩を盛るのでシュールに見える。コント番組だったら笑い声の音が入っているシーンである。
この光景はぜひブロンコビリーでご覧いただきたいと思う。
余談:
今のブロンコビリーは付け合わせがフライドポテトになっている。昔のブロンコビリーは蒸したじゃがいもにバターが乗っていて、ソテーしたニンジンもあった記憶がある。あのニンジンは柔らかくて甘くて、子どものころに食べて唯一おいしいニンジンだった。今はそれが食べられなくてすこし寂しい。